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昔から1月は往ぬ 2月は逃げる 3月は去ると言われるように年明けからあっという間に1月も往のうとしております。
今年は昨年の8月から独り言の更新を大幅にペースアップし、そのペースでスタートしました。
実は予想通りストレスとなりはじめております。・・・・ 眠い目をこすりながらくたくたになりながら書き続けるよりはゆっくりと休んだ方が体にも良いし。。。物書きを生業にしているわけではないので・・・
そこで昔のペースに戻す事にいたしました。
私は当初「自分の気が向いた時に書こう・・」このような気持ちで始めたわけだし、ぼくは一体何のために独り言を書いているのだろうか?と考えた時にストレスになるようでは意味が無いと思います。・・・ また知足安分の教えのようにほどほどにしておこうと思っております。
さて年末にこの独り言にも書いたのですが、心に残る本の紹介を地元のラジオ番組で行いました。昨日、第2段の収録があり、前の日に再度話す内容を考えておりましたらある事に気が付きました。昔、孫子を勉強している時、ある方に次は論語を勉強しなさいと言われました。その後月日が流れ、ある本を読んでいた時に孫子や孔子に疲れたら老壮を読みなさいと書いてあるのを見て、なかなか興味深い事だと思っておりました。
そしてその意味が最近非常によくわかるようになりました。
性悪説に基づき現実主義で対立闘争的立場を前提とする孫子は競争社会に対応する知恵。そして性善説に基づき理想主義で人道的立場の孔子は秩序ある社会に対応する知恵。
老子は超越主義で人間的対立を否定する安定した社会に対応する知恵を教えてくれました。実は今の社会はこの3つのバランスが重要なのだという事に気付きましたが、
この3つの思想の中でこれからは老子の超越主義的な思想が極めて重要になってくるという事を強く協調したいと思っております。
だから何度も登場する知足安分の教えや仏教の根本思想である無の境地を、自分の更なる成長のために必要な資質として加えていかなければならないと考えるようになりました・
水の限界は水がなくなるところにあり、富の限界はそれに満足するところにある。
これからも経済は発展させていかなければなりませんが、ある程度満ち足りた人達が、我欲を少し抑え社会のために貢献していかなければ、この成長は真の成長とは言えないでしょう。
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