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とんど饅頭の歴史
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虎屋の創業は江戸時代。徳川家康公が徳川幕府を開いた、20年後の元和6年(1620年)に、この備後福山で創業しました。以来380年間にわたり受け継がれ虎屋の代名詞といえば「とんど饅頭」。
福山城築城のお祝いの時、時の藩主水野勝成公に献上するために作られました。その饅頭の美味をいたく賞揚された勝成公は、その時、城下町で行われていたお祝いの左義長(とんど)にちなみ、これを「とんど饅頭」と名づけられ,藩の御用菓として愛用されました。
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とんど祭りの由来と歴史
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■正調とんど音頭
佐義長佐義長と吉津のどんど ハ ヨイヨイ
上は鶴亀ちょいと五葉の松
ソラ ヨーイヨーイ ヨーイヤナ
ハラリャ コリリャ ハーヤ アトエー
見たか見てきたか福山の城を ハ ヨイヨイ
前はお堀でボラが住む
ソラ ヨーイヨーイ ヨーイヤナ
ハラリャ コリリャ ハーヤ アトエー
鞆の向かいの仙酔島は ハ ヨイヨイ
地から生えたか浮島か
ソラ ヨーイヨーイ ヨーイヤナ
ハラリャ コリリャ ハーヤ アトエー
■福山とんど祭りの由来と歴史
全国的に有名になった勇壮なデザインを競う福山とんど祭りは、元和8年(1622年)水野勝成が福山開城したとき、築城完成を祝って町衆がとんどをかついで城主の入城を祝したのにはじまります。(それ以前は、とんどをかついで練り歩きながら、通りで二基のとんどが出会うと自分の村のとんどを無理の通そうとする「けんかとんど」の記録があります。
以後、城下の各町(福山30町,鞆6町、36基)は競って各種の飾りをつけ、小正月(1月4日)朝に東堀端に整列して城主の御覧に供し、その後市中をかつぎまわり、三吉町板橋の東で焼きました。水野勝成が吉津町の鶴亀、上魚屋町の懸鯛、下魚屋町の三方に伊勢海老、笠岡町の諌鼓鶏、船町の宝船を褒めたことから、毎年同じものをつくって町の光栄とし、今にその飾りと伝統を伝えています。
一時期火災の恐れもあって禁制され廃れたところもありましたが、福山のみは伝統的にゆるされ、全国でも第一の盛観とうたわれていました。
10日頃より子供が家のしめ縄、松飾りを集め13日までに老いも若きもうち揃い、どんどをつくり、13,14日で市中を担ぎまわります。14日の申の刻に本庄村前地に持ち出して火をかけ「どんどやどんどや明年もござれや」、と口々に囃し焼きます。この時、こ餅を竹に包み、その火で焼き、人々に分けて小正月を祝いました。また、この火に身体をあてると無病息災ですごせるとか、書き初めを焼いて高く上がると書が上手になると言い伝えられています。
協力 福山久松通り商店街振興組合
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