高田屋 兵庫にて廻船問屋と染物屋を営む
元和4年1618年頃徳川家康公の従兄弟にあたる
福山藩主
水野勝成公の要請により
初代高田宗樹 京都から三艘の船で伏見櫓を運ぶ。その後吉津に土地を拝領し永住する。
そして殿様より宿老(現在の市長)を仰せつかる。
元和6年(1620年) 菓子匠開業す。よってこの年を創業年度とする。
元和8年正月 初代宗樹
福山城築城茶の湯の会に召されお菓子を献上す。
その献上したるお菓子の味をいたく賞賛され、これを水野勝成公より「左義長」(とんど)
と名づけられ、(現在の
とんど饅頭) 以来
福山藩の御用菓子司となる。
寛延3年(1750年)8代目当主 高田助四朗が虎模様のどら焼き(現在の
虎焼)を開発する。
この年に高田屋から虎屋に社名を変更し、菓子屋に専念する事となる。
安政年間(1854年頃)11代目当主 高田林兵衛が藩主 阿部家の茶の湯の会に用命
を受け、羊羹と柚餅を納め、阿部家御用専門も努めていた。
屋号の由来は、初代宗樹が寅年ということと、昔から虎は開運招福を授ける守護神として崇
められ、非常に縁起がいいということ、思いやりの気持ちがあること、勢いがあること、美しい
こと、そんな思いを社名に託し虎屋とする.
当主に就任したら.まず法隆寺を参拝する。その後大和国信貴山 (毘沙門天王が日本 で最初に御出現になった霊地
毘沙門天王の総本山
朝護孫子寺(聖徳太子が物部討伐の際に、 この山 で戦勝の祈願をした時、寅の年、寅の日、寅の刻に、毘沙門天が出現)に入り、備後福山虎屋の奥義を良く理解し、当主になるための十の請願を建てる。現在の当主は16代目が努めている。
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